中学3年生の4月から高校卒業まで指導。 理系科目が苦手で、2年生の学年末試験は、数学が5点、理科が4点、英語が19点で5教科の合計が68点。 通知表は、社会、数学、美術、保健体育、英語が1で、それ以外が2の合計45点中13点。 生徒が言うには「まったく授業が分からないから、毎日朝から夕方まで椅子に座っているだけ」とのこと。
小学生の頃は学研教室、中学生になってからは友人と一緒に個別指導塾に通っていた。 生徒曰く、個別指導塾では友人との雑談、塾講師との「じゃんけん大会」などの印象が強く、ほとんど勉強をしていなかったそうである。 小学校の算数の知識は、それほど低くなく、少なくとも小学校を卒業した生徒の平均的な水準まではあった。
学校では卓球部に所属し、趣味は映画鑑賞。 生徒の性格は大人しく、控え目な性格だが、気配り上手で気持ちよく接することができる印象。
生徒と打ち解けてきて、何気ない雑談の中で将来の夢や目標の話になった時に「自分は普通の人になりたいです。」と言っていたのが印象的だった。 やはり他の生徒と比較して普通な状態でないという劣等感のようなものを抱えており、なんとかしてあげなければと使命感を持つ。
授業は教え始めた当初は、週に1回2時間の指導で、数学と英語を1時間ずつ指導した。 どちらも市販の問題集と私が作ったプリントをベースに、学校で習う単元に平行して中学校1年生の初めの単元から指導。 通知表から1を無くすこと、また提出物は全て提出することを目標に、定期テスト前に提出するワークから宿題を出した。
数学に関しては、中学1年の正負の数はやり方を忘れているところはあるけど、習った当時はどうにかついていけていたのではないかという印象を持てた。 小学校のころに学研教室に通っていたため、整数、分数、小数の四則計算の基礎は十分に身についているようだった。 ただし、文字に値を代入したり、方程式や関数といった中学校で学ぶ内容に関しては、まったく身に付いていなかったため、時間を使ってしっかりと復習を行う。
英語は、かなり厳しい状況だった。幸いにもアルファベッドはかけるので、英単語を覚える作業を行う。 併せて文法の指導を行う。Be動詞から全然身についておらず、「You ( ) 〜.」の穴埋めに「is」を入れてしまう状況。 文法に関しては、学校の授業はとりあえず置いておいて、1年生の基本から行う。
定期試験前から週2回の指導に変更。定期試験直前にワークを溜め込んでしまっており、生徒に問題を解かせては私が丸を付ける、を繰り返す。 宿題としてワークを解かせようと試みたのだが、全て熟すことができず、テスト前日はテスト対策ではなく提出物の準備だけで終わってしまう。
それでも、試験の結果、数学は5点→31点、英語12点→30点、理科4点→20点、5教科で68点→131点まで上昇した。 本人も「努力すれば成果が出る」と自覚したようだ。 1学期の通知表の結果は、ワークなどの提出物をすべて提出したこともあり、1は無くなり、3が3個になり、合計は45点中21点。 ご両親も「やれば出来るじゃないか。」と少し安心されたご様子。
7月部活を引退してからは、週3回の指導を依頼される。夏休みになると気が緩んでいたためか、宿題をしていないことが多かった。 そのため、かなりお説教をした。個人的にはあまり説教はしたくない。 説教中も料金が発生しているため、「勉強を教えていないのにお金をいただいて良いのだろうか」という葛藤があるからだ。
その分、時間を伸ばせるときは多めに指導を行うようにした。
2学期も、1学期に引き続き、復習を行いつつ、ワークを用いて学校で行われている授業の指導も行う。 夏休みの間に一通り英語の復習を終えたため、2学期から関係代名詞など3年生の文法にも取り掛かる。
9月の中旬になると中間考査が行われる。結果はなんと数学が68点、英語が47点、5教科が178点まで上昇。 お母さんからは「まさかこんなに良い点が取れるなんて。コピーして家じゅうに貼っとこうか?」と大変喜ばれる。 本人もとても喜んでいた。
このまま、順風満帆に受験を迎えることができるかと思っていたのだが、そうは問屋が卸さない。 なんと10月に生徒が両腕を骨折するというアクシンデントが発生。 体育の授業中での怪我ということだったので致し方なし。
一応、ペンは握れるのだけれども、あまり動かすと治癒に支障をきたすため、英語、理科、社会の暗記物に力を入れる。 その効果が出たのか、期末試験では理科が52点、英語が43点と高い水準を維持でき、数学は33点と大幅ダウンしたけれどもそれでも以前と比べたら上出来といえるだろう。
ただ、2学期の通知表は、骨折のためずっと見学をしていた保健体育が「1」となってしまう。
お父さんの出身校である九州産業大への進学を目指して、九州産業大学附属九州高校の普通科を専願入試で受験することを決める。 システムエンジニアであるお父さんと同じ道を歩みたいとのことだった。
12月に入ってからは、九州高校の専願、前期、後期の過去問を繰り返し行う。 とにかく難しい問題は手を付けず、誰でも解けるような基礎問題は落とさないように、またケアレスミスは絶対にしないように練習を重ねた。
面接の対策も行い、結果は見事に合格!合格のお祝いも兼ねてご両親からは食事とお酒を振舞っていただきました。
いただいたメッセージカード↑
高校生になってからは週1回に変更し、引き続き指導を行う。主に数学と英語を指導し、定期考査前はその他の教科を指導した。 部活動にも積極的に参加し、かなり充実した3年間を過ごしたようだった。
3年後は当初の予定通りに九州産業大学理工学部情報科学科をAO入試で受験し、見事に合格。
大学に入学してからは、1年に一回ほど食事にいき交流をした。 先日(2021年12月)、一緒にお酒を飲みに行ったのだが、無事にIT企業への内定を貰うことができ、今は卒業研究で大忙しのようだった。
2021年現在、プログラミング教育に注目が集まり、九産大の理工学部情報学科への合格難易度が数年で跳ね上がる。 「もしも、これから大学受験するのだったら、絶対に合格できないと思う。運が良かった。」 「ちゃんとした会社に就職できたのも、船木先生のおかげです。もしも先生に教わってなかったら今頃どうなっていたことか。」と言ってもらえた。
生徒が立派になっていく姿が見られて、こんなに嬉しい言葉をかけてもらえて、家庭教師冥利に尽きる。そんな事例である。
右側が生徒。左側は同時期に私が指導していた同級生の子。