小学校6年生の2月から指導開始。 3歳年上の兄が受験が終わったため、弟の指導を依頼された。
生徒は、幼いころからソフトボールチームでプレイしており、中学進学後はリトルシニアリーグのクラブチームで硬式野球をプレイすることを希望していた。 クラブチームではテスト前日にも練習が入るため、直前にテスト勉強をしなくても、高得点が取れるように予習形式で指導を行った。
ご両親は「野球推薦で高校に進学できるのがベスト。本人の性格的に教師に気に入られるタイプではないから、せめて定期考査を高得点を取れるようにしてほしい」と希望されていた。
初めて指導した感覚としては、何でも要領よくこなすと印象。 小学校の入学前には国旗の図鑑をみて、全ての国旗と国名を覚えてしまい、周囲を驚かせたというエピソードがあり。 数学や理科よりも歴史や地理の方が興味があるようだった。
数学と英語の先取り学習を行う。
数学においては、まず基本となる小学校の算数がちゃんと理解できているかをプリントを用いてチェックする。 基本となる整数、分数、小数の四則計算は問題なし。さらに多くの小学生が苦手としている、割合、速さ、概数なども8割方理解できていた。 中学校の数学の学習の下準備は十分と考え、さっそく正負の数の学習を行う。
使用する教材は、中学校の教科書準拠の問題集。その内容に沿って、概要を説明し、例題を解説、練習を問題を行う。 一通り解き終えたら、私が作成した単元テストを行い、理解度をチェックする。このような手順で行った。
3月初めに正負の数、4月初めに文字式まで終わらせるペースで授業を進めた。
一方、英語においては、近所の英語塾に通っていたこともあり、小学校6年生のうちに英検4級まで合格していた。 ただ、英単語のスペルまで完璧に覚えている語数は少なかったため、英単語の覚え方の指導を行い、中学校で学ぶ英単語を暗記させ、毎回の授業で小テストを行った。
文法に関しては、英語塾で習っていたので改めて授業を行わず、プリントの宿題を出し、その次の指導日にやり直しをさせるようにした。
入学後は、主に数学の授業を行い、定期考査前までに方程式まで学習を進めた。
その間、英語の単語プリントと理科、社会の暗記プリントを宿題にし、次の授業時にテストを行うを繰り返した。 野球の練習がある日はほとんど勉強ができないため、テストの出来はだいたい5割くらい。 練習で疲れがたまっているためか、私の指導時にもウトウトとしていることが目立った。
定期考査2週間前からは、予習形式の授業は中止して、理科、社会、国語の定期考査対策を行う。 宿題は学校のワークから出し、理科や数学の分からなかった問題の解説を行った。
1年生の1学期期末試験は、500点満点で420点。社会は98点という好成績を残すことができた。それ以降は390点から430点の間を行ったり来たり、 通知表は9教科45点満点で35点前後といった感じ。
英検3級は早々に取れると思っていたが、英検の日と野球の試合が重なってしまい、なかなか受験することができなかった。 そのため、2年生の冬にようやく合格できた。
3年生の春になると、野球も集大成の時期になり、夏の大会に向けてほぼ毎日練習が行われることとなり、私の授業を受けることができなくなってしまう。 そこで、7月までは授業はお休みにして、その間はその下に控える弟(6年生)の指導を行った。
8月になり、授業を再開し、急ピッチで数学の授業を進め、夏休み中に全範囲を終了させた。 そのころ、「学業と野球の両立ができる」とクラブチームの監督から薦められ、香住丘高校への進学を希望するようになる。
1学期の評定が34点と物足りなさがあるが、今後の頑張り次第では十分に目指していけると考え、2学期は理科や社会にも力を入れて授業を行った。 定期考査の点数は5教科420点とまずまずあったが、副教科が足を引っ張り、2学期の評定は35点。
12月の3者面談では、私立高校は九州高校の特進クラス、公立高校は推薦入試で香住丘高校を目指したい、 もし合格できなかったときは再度一般入試で受験することを担任の先生に伝える。
12月以降は、九州高校、城東高校、東福岡高校、若葉高校、東海大福岡高校など、さまざまな私立高校の入試問題の過去問を解き、正答率と間違いの分析とチェックを行う。 点数が良いときと悪いときの差が激しく、悪いときは問題をきちんと読んでいなかったり、解き忘れていたり、明らかに気持ちが入っていなかった。
過去問は本番同様に時間を測り、全力で問題とかないとまったく意味がないどころか、無駄に時間や労力を使ってしまい、かえって悪影響がある。 そこはかなり厳しく注意をした。
年が明けてからは、公立高校の入試対策を行う。
3月の一般入試を照準に入れて、過去5年分の過去問を解く。結果は、175点から200点と香住丘高校への合格にはほど遠い感じ。 この結果は、まだ問題を解きなれていないためであり、徐々に点数は上がってくると判断した
全教科45点以上、合計で225点以上になるように目標を定めた。 数学に関しては、大問1を全問正解を目指し、大問4,5,6の最終問題は捨てるように伝えた。 理科や社会は各過去問で特に点数が取れていなかった分野を精査し、プリントで復習を行わせた。 また、記述問題を苦手としているため、記述問題に特化した問題集を購入して指導した。
そうこうしているうちに、私立入試の時期になり、予定通り九州高校の特進を受験した。 結果は準特進クラスでの合格であった。年が明けてから私立対策はほとんどしなかったこと影響したのかもしれない。 しかし、生徒本人の目標は、あくまでも香住丘高校への合格であったため、さほど気にした素振りは見せなかったようだった。
その後はすぐに香住丘高校の推薦入試の対策。志願理由書の校正や面接での対策を行った。 試験当日は、作文と面接の試験が行われた。結果は・・・残念ながら不合格であった。
一般入試でも香住丘高校を受験予定であったが、ここで香椎高校に進学先を変えることになった。 というのは、内申点が35で余裕がないこと、過去問や模擬試験では200点を超えられるようにはなってきたが、それでも十分ではない。 野球を続けていくのであれば、下の方でギリギリで合格では、学業との両立は厳しいのではないだろうかと言うことであった。
香椎高校であれば、自宅から近く、内申点や過去問、模擬試験の点数も問題なし。 懸念があるとすれば、倍率が高いことがあげられるが、最後まで気を緩めずに万全の体調で臨めば、十分に合格できると判断。
学校で配れたプリントなども用いて、抜け落ちている部分を埋めていく作業を行う。
そして、入試日を迎えて、その直後の指導日にお母さんから話を伺うと、当日は会心の出来で自己採点は235点!
「これだったら、香住丘高校も合格だったじゃん!」とお母さんからツッコまれる。 1週間後の合格発表では、自己採点通りに合格!
入学説明会後に試験が行われた。そこでも好成績を残し、特進クラスに入れることになった。 なんと、あれだけ拘っていた野球部には入らず、特進クラスで勉学に励みたいとの報告を受けた
その後は6年生の弟にバトンタッチ。 時々、お母さんからその後の様子を聞くが、試験では学年で5番になり、嫌いな数学がなぜか一番点数が良いという状況を嘆いているそうだ(笑)