子曰く、由よ、汝に之を知ることを誨えんか。これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らずと為せ。是れ知るなり。 (しのたまわく ゆうよ、なんじにこれをしることをおしえんか。これをしるをこれをしるとなし、しらざるをしらずとなせ。これしるなり。)
上の文は、 先生はおっしゃった。 「由よ、お前に『知る』ということを教えよう。しっかりと知っていることを知っているとして、十分に知らないことは知らないとしなさい。これが本当に知るということだ。」 という意味です。
「知らないことは知らないと素直に認められることが、本当にものを知っているということだ」と孔子は言っているのです。
過去に指導した生徒に、プライドが高いからか自分の出来ないことを隠そうとする子がいました。。
例えば、宿題で数学の問題を解かせると明らかに解説を丸写ししただけなのに自分なりに考えたと良い、 またその場で問題を解かせるとまったく解き方がわかっていないのに、何かしら考えているそぶりをして、書いては消してを繰り返す。 こちらが声をかけるまで延々と繰り返し、時間だけが延々と過ぎていくという具合です。
また、わかっていないのに「わかりました」という子も非常に多いです。
人は誰しも周りに自分を良く見せたいものです。しかし、そんなところで知ったかぶりをしたり、見栄を張っても仕方がないことです。 知らないものは知らないと認められる素直な心がなければ、深い学びを得ることはできません。
経験上、私は、生徒の「わかる、知っている」という言葉を信用していません。 それどころか「わかっている」と言う生徒は、ほとんどわかっていないとすら思っています。 なんとなくわかった気がするけど、よく考えたらやっぱりわからないってことはよくありますしね。 実際に理解できているかテストしてみて確認するしかありません。論より証拠ですね。