これまでに家庭教師と集団指導塾の学習サービスについての説明を何度か行いました。
今回は図(モデル)を使って説明したいと思います。つぎの図をご覧ください。
生徒と教師を青と赤の円、その重なった部分を学力として表しました。
生徒を表す青い円の大きさは、生徒と生徒の持つ学習習慣や既有知識、学習方略を表します。 既有知識とはすでに持っている知識、学習方略とは勉強の仕方のことです。
教師を表す赤い円の大きさは、教師と教師の持つ知識、指導力、経験の量を表します。
二つの円が重なってできたピンクの部分は学力の高さを表します。この部分の広さによって、学力の伸びを表します。
先ほど紹介した、図を用いて、個別指導(家庭教師)、集団指導塾の生徒との距離感の違いについて説明します。 つぎの図をご覧ください。
距離感がわかりやすいように、二つの円の中心を通る点線を引きました。
左の集団授業は、生徒と教師間に距離があり、円の交わっている部分が狭くなります。ですから、学力の伸びも小さくなるわけです。
一方、右の個別授業は、生徒と教師間が近く、交わっている部分も広くなります。つまり、学力の伸びは大きくなるわけです。
これだけでは、イメージがしにくいので、もう少し掘り下げてみようと思います。
集団型授業では、生徒と教師の間には物理的、また心理的な距離が生まれます。 物理的距離とは、実際の生徒と教師間、または生徒と授業との距離のことです。
教科書も開いて黒板を見ていても、実際は別のことを考えて、先生の言うことは上の空なんてことは、誰しもが経験のあることではないでしょうか。 それが教師や授業と生徒の距離が開いている状況です。
教師が注意すれば良いではないかと思われるかもしれませんが、 授業時間は限られており、注意するだけで授業の進行に支障をきたすうえ、他の生徒の集中力にも悪影響を与えます。 ですから、そのような生徒は、私語で授業の邪魔にならない限り、放置されるのが現状です。
また、心理的な距離の遠さもあります。 教師が1人に対して、生徒が複数人の場合、生徒との接点は小さくなります。 私の経験上、いかに教師の指導力が高かったとしても、生徒と教師の距離が遠ければ、学力向上には結びつきにくいのです。
一方、家庭教師の場合、教師は生徒一人だけを見ていれば良いので、このようなことは起こりにくいと言えます。 とくに私の授業では、「Be動詞と一般動詞の違いって何?」や「今、説明したことは理解できたかな。じゃあ、今度はあなたが先生に説明してみて。」 など、生徒への質問が繰り返されます。 授業とは関係の無い事を考えている余裕はありません。
さらに、家庭教師は、心理的な距離もとても近く、それが生徒にとっての安心感や信頼感につながります。
例えば、休憩中に私自身のこれまでの経験から生徒のためになる思い出話などができます。 受験時の思い出、勉強や学校での出来事など、生徒の共感を呼ぶ内容の話をすることで、教師への親しみがわきます。 教師は生徒の反応を見ることで、生徒の性格を捉え、授業に活かすことができます。
また、「先生の教え子にこんな生徒がいて、今困っているんだけど、君はどう思う?」などと言った話もします。 そうすると、生徒は第三者の立場でよく考えて、アドバイスをしてくれるのです。 これは、生徒自身の自己統制をするメタ認知能力の向上に良い影響を与えているように思います。
※メタ認知:自己を統制するための一つ上の段階での思考のこと。自分の行動を客観視する。
例:「今日は部活で疲れて、眠たい。でも、明日は小テストがあって、このまま寝ると大変なことになるから、テスト勉強しよう。」と言うような思考
教育サービスを利用するとき、塾か家庭教師かで悩まれる方が多くいらっしゃいます。
しかし、実際、塾と家庭教師は、性質上まったく異なるものだと認識しています。
私は家庭教師の仕事を通して、家庭教師のニーズを強く感じおります。 例えば、学校や塾との距離の遠さに不安を抱かれている生徒、親御さんが多くいますし、また核家族化や地域社会とのつながりの希薄化がもたらす家族・学校の教師以外の大人とのかかわり合いの少なさなど、 それらの問題を改善するために家庭教師の役割が大きくなっています。
しかし、現状では、家庭教師の仕事と言えば、偏差値の高い大学の学生や教育学部の学生のお小遣い稼ぎ程度の認識しかされていないし、また家庭教師派遣センターもお金稼ぎのために家庭教師の育成をしようとしない。 志を持っている学生家庭教師の方には失礼なことですが、安かろう悪かろうの悪循環に陥っている状況です。
(2015.02.09更新)